内部被曝を考察するブログ

2年近く前に骨折をしてから中断していた自転車通勤を再開しました。良い季節ですね。皆様がご健康でおられ、良い一週間でありますように。

現行の線量計算を内部被爆に用いる際の問題点

2/1/2013執筆、12/17/2019 Yahoo Blogより移行公開

 

現行の放射線障害理論(ICRPなどが唱える線量計算(xxxミリシーベルトで健康障害がある、ないという議論))が、ある程度、これまでの放射線医学に寄与してきた功の部分は認めるとしても、批判派のわたしなどから見ると、この理論のために、放射線医学の発展が妨げられてきたという負の面は否めません。現行の放射線理論に対する批判は、公の場でも、私的な場でも、枚挙にいとまがなく、有名なところでは、ECRRなどの団体による解りやすい批判もありますし、多くの良質な解説書がありますので、批判意見の大勢を捉えたい方には、そちらの一読をお勧めします。この場では、これまでに議論されてきた批判を踏まえながら、過去の批判でも見逃されてきた視点や、私なりの整理の仕方で、現行理論の問題点を挙げてみたいと思います。

 

現行の理論は、一見するだけで、ある程度誰にでもわかるような、実におかしなロジックで理論展開がなされていきます。無批判にこういう議論を受け入れる人間がいるとすれば、不思議なものなのですが、原発事故以来眺めていると、賛成派、批判派をふくめ、多くの方達が、大なり小なり、現行理論の負の側面に影響されてしまっているように見えます。ともあれ、一番の大きな問題点は、無理な前提に前提を重ね、「便宜的尺度」に過ぎなかった、仮定的な尺度見積もりであるはずの「線量」という計算が、いつの間にか、「この程度の線量では影響は考えにくい」と、あたかも、生体への影響を論じ切っていいかのような、トートロジーに、誰もが陥ってしまっていること。未証明のものを、使って、自らの理論強化に当ててしまい、理論が循環論法に陥ってしまう議論構造がそこここに見られます。学問としては、一番気をつけなければならない基本事項ですね。

 

 

それはさておき、まず、大きな結論を書いておくと、

内部被曝の本質をきちんと論じたいのであれば、どんな些細な局面においても、ミリシーベルトという単位を使っての議論は、好ましくない。トートロジーに陥ったり、議論の厳密性を欠き混乱を招いてしまう可能性が高い。」

という注意点です。

 

すこし、刺激的な結論ですね。もう少し、丁寧な書き方をしてみます。

 

現行の理論、つまり、ミリシーベルトという単位を用いて、ある程度、大雑把な影響の概算を見積もることのできる被曝形態、被曝核種は、確かにあるのですが、その理論を適応するための、前提条件がいくつかある。その、いくつかの前提条件を満たす被曝形態、核種における概算として現行理論を適応することは、現行の理論の延長線上でも大きな問題はないと推測もできるが、前提条件がまったく成り立たない被曝形態、核種がある。前提条件がなりたたない元では、健康障害への影響を、おおきく(少々、どころの話ではなく、桁違いに)見誤っている可能性が高い。

 

それにしても、なぜ、これほど多くの、「頭のいい人たち」が、明らかに多くの理論的pitfallを含んでいる現行理論を、あれほどすんなりと受け入れてしまっているのか不思議でしょうがないのです。ある程度これまでの私の人生経験で接してきた(私などよりは遥かに)「頭の良い方達」の観察から、なんとなく推測するのですが、頭の良い人たちに限って、「物理学コンプレックス」に侵されているのではないかと感じています。つまり、物理学法則がそう言っているのだから、間違っているはずがないと。物理学が規定しているのだから、宇宙の真理なのだと。

 

ところが残念ながら、物理学はそんなにrobustな学問ではなく、ちょっと極論すると、シンプルで美しい数式を追求するのが主眼の学問です。物理学の理想は確かに、美しい数式の記述で、宇宙の森羅万象を解き明かそうという大胆な試みで、尊敬できる部分も多くありますが、物理学者の中には、本末が転倒し、数式を美しくすること自体が、目的となってしまっている人も少なくないように見受けられます。

 

リチャード・ファインマンが、来日し、日本の物理学者と交流した時に感じた違和感があったそうです。日本の物理学者の多くが、「数式が完璧なののだから、理論や結論に間違いない」という趣旨の発言をしていたことに、なんとも言えない違和感を感じたそうです。この真意は、竹内薫さんによると、「数式は完璧なのだが、物理学的につじつまが合わない」とファインマンが感じたというお話なのですが、私なりの解釈は、純粋数学、厳密数学のように、厳格かつ緻密な公理と定義の上に、一寸の論理のギャップも許されないようなrobustな論理体系の上に組み立てられた学問とは異なり、物理学というのは、部分部分の数式は厳密なのですが、数多くの、未証明の前提条件を元に、論理構築されていることが多いわけです。線形な作用と規定していいのかどうかすら未証明なものを、いきなり線形と仮定して数式を組み立てることも稀ではなく、そのような学問の成り立ちでは、どんなに部分部分の数式の扱いが完璧であったとしても、あちこちに歪みを来すことも多くあるのではないでしょうか。

 

彼の言っていた「違和感」とはまた違うレベルでの議論になるかも知れませんが、物理学者の一部には、数式を美しくいじりたいがために、無理やりな前提条件で、議論を進めてしまう場が少なくない。現行の放射線障害理論も、残念ながら、例外ではありません。たとえば、どうやら、放射線理論を扱う物理学者の一部は、人体というのが、粘土の塊で出来ているのだという前提で議論することが許されると思い込んでいるようです。

 

 

皆様は、中学の頃の数学で、「場合分け」という考え方を習ったことを覚えておられますでしょうか?ある、式変形や、証明問題などで、(i) x>1の場合、(ii) x=1の場合、(iii) x<1の場合などと、ケースバイケースに分けて、論じていく記述のことです。なぜ、数学であのようなことをやるのかというと、数学というのは「厳密な学問」を目指していて、ある式変形のルールや、ある定理の応用が、前提条件で異なってくる場合に、厳密に場合を分けて論じていかなければならないからです。

 

理想的には全ての学問は、厳密で緻密な論理展開が必要なのですが、実際には、「細かいことはすっ飛ばして結論を急ぎましょう」ということが、実学問のケースではよく見受けられます。放射線障害理論もそうですね。「こういう風に計算をした方が、概算がラクだから」というのがインセンティブになっているわけです。大きく概算を見誤らなければ良いのですが、往々にして、乱暴な前提条件の結果、論理帰結が180度真逆になることも稀ではありません。

 

放射線理論の場合も、現行の理論を適応できる場合、できない場合、という具合に、厳密に「場合分け」をし、ますは適応条件を論じていかなければなりません。

 

前書きが長くなりましたが、現行理論のもつ、多くの問題点 をいくつか列記しておきます。

 

現行理論の問題点:

(1) 電離能ではく、エネルギー至上主義に基づいて計算の根幹が構築されていること。これは、物理学の旧来の主流というのが、物質のもつ「物性」ではなく、系のエネルギーを重要視してしまう傾向に、よくも悪くも縛られているのでしょう。物理学の最も偉大な法則の一つが、エネルギー保存の法則、ということが象徴的です。 実際の、放射線の生体への影響は、エネルギーではなく、むしろ、電離能によって規定されることは、1970年代以降確立しているにもかかわらず、物理学者はこの生物学的知見を取り入れていない。その証拠が、RBE(生物効果比)において、βイコールγイコール1、というおかしな係数。これは、RBEがLET(線エネルギー付与)に基づいて算出されるという前提に基づいている。実験結果を元に導かれた考え方だが、実は、光子系の放射線X線γ線など)では、大変よくこの関係性が実験的に調べられているものの、粒子系(α線β線)においても、同等のLETで一元的にRBEを算出して良いのかには、異論が残る上に、実験的にもまだまだデータの不備が指摘できる。ところで遺伝子への影響(旧来の枠組みでは「確率的影響」の議論)だけを議論に取ってみても、DNAへの影響は、電離放射線による局所での活性酸素産生を介するものと、受け入れられていることを鑑みても、おそらくは、LETよりも比電離を念頭に、RBEを整理し直し、β線などの影響は大きく見直していく必要があるのではないかと考えられる。電離能は、明らかにβ>>>>γである。

(一方、旧来の枠組みでの「確定的影響」を念頭にした議論としても)1970年代に行われた、Petkauの実験というものがあり、原発事故以降、方々で紹介されたのでご存知の方も多いと思いますが、あの実験、「慢性低線量被曝の方が急性大量被曝よりも影響が大きい」などと、正確とは言い難い紹介のされ方をしており、その点に突っ込まれる方も多いかと思いますが、そうではなくて、実はPatkau自身が一連の実験で示している通り、あの実験系の一つの極めて重要な発見というのは、「放射線のエネルギーではなく、局所の電離能こそが、重要」(そしてそれは、現行の理論のように全体の系で平均値を取るなどというおかしな計算をしてはいけない)という知見です。

 

(2) 局所影響への理論的破綻。これは、ECRRなどでも散々批判されている通り。右足を熱湯につけ、左足を氷水につけた場合、右足は火傷をし、左足は冷たい!となってしまうが、現行のICRP理論は、右足と左足の平均を取って、全体のエネルギーで計算してしまうというおかしな計算方法を取っている。これでは、たとえば放射線汚染粉塵などが局所に付着した場合の影響を論じることはできない。

 

(3) 生物学的反応(局所炎症、免疫系の関与)などを一切考慮に入れていない。人間の組織が、粘土の塊で出来ている、という物理学モデルに理論が依存している。

 

(4) 組織の局所炎症を来す被曝形態における議論では、急性炎症と、慢性炎症の、健康障害に与える影響が、慢性>>>急性と逆転するというのが、生物学的な妥当な予想ですが(例えば発ガンに関する議論など)(注1)、現行の理論では、この区別ができないばかりか、現行理論信奉者の中には、相変わらず、急性大量の被曝形態のほうがはるかに危険、という乱暴な議論が目につく。

 

(5) 核種から出てくる「放射線」のことだけを論じており、物質としての放射性物質の影響、特に生命体分子との相互作用に関し、一切想定が及んでいない(この点が、このブログの主眼のテーマです)。

 

(6) 発ガンのモデルが、1970年代、1980年代のまま、更新されていない。ICRPが論じ、考慮しているのは、「遺伝子への影響」のみで、このレベルのみで発ガンが論じられていたのは、1980年代までです。たとえば、アスベスト。単に、尖った酸化ケイ素などからなる物質で、それ自体では遺伝子に影響を与えようがありません。形状の問題以外は、化学的には全くinert(不活性)な物質です。アスベストの場合、その特殊な形状のために、肺の局所にとどまり、持続慢性炎症の温床となることが、悪性腫瘍の発生につながると理解されています。このように、1990年代以降、慢性炎症によって発ガンが起こることは医学的に定着しており、現在は、少なめに見積もっても、発ガンの3割以上は慢性炎症によるものと理解されています。さらに、2000年代中盤以降は、これに加えて、組織内の微小環境からの逸脱、という概念で発ガンが理解されるようになってきました。このように、直接遺伝子に働きかけるわけでもない、そして、比較的新しい理解と思われていた、慢性炎症に依るわけでもない、新たな、極めて重要な発ガンのメカニズムが次々と明らかにされてきています。そのほか、発ガン促進因子としての免疫低下や、組織虚血状態の遷延など、発ガンのメカニズムの理解は日進月歩です。放射性物質が、これらの幾つにも関与しているであろうという考察は容易に妥当に推測しうるものですが、原発事故以降も、相変わらず、乱暴にICRPの理論を振りかざしている方が目に付きます。

 

 

 

では、現行の理論が、全くダメダメなのでしょうか?

そうではなく、いくつかの適応条件に注意を払いながら、理論運用をすれば、これまでの放射線理論の遺産は、活用し続けることができると思っています。では、現行の理論を適応できる被曝核種、被曝形態とは、どのように理解すればいいのでしょうか?結局、上に書いた批判意見と表裏一体なのですが、

 

(a) 外部被曝に関して、は、従来の理論の延長線上で良いと思われます。RBEは相変わらず、極めておかしいことに変わりはありませんが、(これまでも論じられてきたとおり)外部被曝からの影響では、α線β線は表層で遮断され、大半のケースで計算外にできるでしょうから、現行の理論のまま、大きな混乱は考えられないとおもいます。

 

ここから先は、内部被曝に関する議論

 

(b) 放射性汚染粉塵(セシウム・パーティクル、セシウム・ボールなどと呼ばれるものなど)などの粘膜付着による影響は、現行理論では論じることができないので、これは除外する。

 

(c) 生命体分子との相互作用が想定される核種は、別途議論をしなければならないので(特にセシウムトリチウム、C14、など)、これらを除外した核種

 

(d) 組織慢性炎症につながる核種(トリウムなどの肝臓への蓄積)は、慢性炎症というメカニズムを介して、格段に発ガン率や慢性炎症性疾患につながることが想定されるので、線量計算の枠組みからは外し、別途論じるべき。

 

これらの条件の満たす核種、つまり、不均一被曝をしない、体全体(または組織全体)に、均一に分布する核種、生命体分子と相互作用のないことが保証されている核種、慢性炎症などにつながらない核種、などは、従来の線量計算の枠組みで論じていけば良いと思います。(ただし、従来の枠組み、すなわち、遺伝子などへの主たる影響として論じていくとしても、RBEの値は、生物学者の目から見て、オカシイです。遺伝子への与える影響に限局した従来の枠組みの中だけでの議論でも、矢ケ崎先生などが、RBEの値のおかしさを解説してくださっています。)

 

 

(注1):「慢性炎症」という考え方について。これはすでに医学者の間には定着して久しい、発ガンのある重要なパターンに関する考え方となっていますが、歴史的にずっとそうだったわけではありません。なぜ、現行の放射線理論では全く評価できていないかの矛盾を、きちんと説明のできる識者は、意外に少ないのではないでしょうか。また、発ガンに対する影響は、慢性炎症は極めて重要ですが、急性炎症では、どんなに激しい炎症でも、ほとんどゼロです。これはすでに医学常識となって久しい考え方ですが、意外に、知識がきちんと身についていない医者も多いようで、議論をしていても虚を突かれてしまう方もおられるようです。このあたりのことを、個人的な体験も含め、別項にて補足します。

 

 

 

 

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