当ブログ記事を執筆するにあたり、最初から理論を拡大しすぎるよりは、まずは「一点突破」を目指して、もっとも定量的議論が明確にできそうな、Bandazhevskyの微量放射性セシウム心筋症の説明に、分野を絞って議論させていただきました。
(ただし、この記事で議論させていただく下記の内容は、当理論を執筆開始の時点で、以前の記事に関連する議論の欄外で述べている通り、ほぼすべて想定済みです。あくまで、メインの議論で混乱を避けるため、議論を控えてきた、という意味です。)
心筋症の議論には、ある程度の議論の流れが出来たのではないかと思いますので、類似のメカニズムで起こりうるであろう、その他の症状に関して、少しだけ議論させていただきたいと思います。
当理論を当てはめる際に、いくつかの議論の着眼点があるのですが、
(1) KirなどのCsイオンに対する高親和性のカリウムチャネルが、高発現している臓器
(2) カリウムチャネルによる電位調節が、組織機能維持に重要な働きをしている臓器
(3) 直列接続(神経系、骨格筋、ギャップジャンクションが重要機能をもつ臓器)
この4点を目安に、その他の臓器への理論拡大として、アタリをつけていきます。
(1)の理由は説明の必要はあまり無いですよね。いくら放射性セシウムで内部被曝しようが、放射性セシウムがアタックするターゲットが、その臓器に存在していなければ、恐るに足りません。散々ブログの記事で繰り返してきましたが、放射性セシウムのターゲットは、セシウムイオンが固くはまり込む、Cs高親和性のカリウムチャネルだと想定しています(Kir1.1, 2.1&2.2, 3.1&3.2, 5.1など)。
図で列記してみたいと思います。
心室心筋では、当ブログで論じているように、再分極第2相の外向きK電流がやられる、と考えられます。
そのほかの臓器に関しては、仮説としてはいくらでも述べることは可能ですが、現段階では、何か確からしいことに言及できるような判断材料が揃っていない、という状況です。とは言っても、それでは考察が進まないので、最新の医学研究からわかっている知見を頼りに、出来うる限りの推測を、チェルノブイリ事故後の疫学調査と照らし合わせて、各臓器の機能障害のメカニズムの各論を考えてみたいと思います。上の図に、一部の情報を、簡略に挙げておきました。
次に、(3)の条件、「直列接続」を解説してみます。
ごく微量の放射性セシウムが、その臓器機能全体に影響を与えるためには、その臓器に何百何千億個もある細胞の中のたった1個の細胞が、ただ単に死んでしまったりとか、ただ単に、みんなとは別に個人行動的に怠けてしまうだけでは、他の細胞が機能をカバーしてくれるので、臓器全体の機能には影響の出ようがありません。
従って、ごく微量の放射性セシウムによって臓器機能に影響がでるとすれば、このブログでも繰り返し述べてきたように、細胞群が何らかの直列接続で機能を果たしていないといけないのです。
直列接続の機能が、臓器の機能に、何らかの重要な役割をしているだろうということが分かっている臓器、あるいは、予想される臓器を、列記してみたいと思います。
(4)の条件、「制御の不安定性」がなぜ必要と考えられるかと言いますと、そもそも細胞内で、ごく微量の放射性セシウムがたった1個崩壊し、そこからたった1本のβ線、γ線が出たところで、その細胞が死ぬということは無いでしょう。また、細胞の中にあるたった1個のカリウムチャネルが壊れたとしてもその程度で、その細胞が死ぬ、ということも無いでしょう。問題は、(正常では細胞がシステムとして、上手にタイミングを同期して、フィードバック調節をしている、その)、タイミングの調節に遅れが生じると、制御理論的には、安定性余裕の喪失が起こりうると考えられる、という部分が、理論の根幹として、大事なのです。(制御の安定性に関しては、別途補足記事をご参考ください)
昔のカラオケ屋さんに行くと、マイクがキーンという耳障りな高音を発して、「ハウリング」という現象をよく起こしていました。なぜああいう現象が起こるかというと、マイクがスピーカーからの音を拾って、また増幅にかけてしまう、という、正のフィードバックが働き、「発振」という状態が起こっているからなのですが、(日本のメーカーが得意な分野ですが)いろんなモノ作りの際や、生体内で行われている制御も、この、正のフィードバックが掛かりにくくなるように、上手く設計されていて、この設計要求事項を、制御の「安定性余裕」と呼んでいます。ごくごく微量の内部被曝で、システム全体の破綻が起こる際の、もっとも考えやすいメカニズムが、この、安定性余裕の減少(安定性の破綻)だと想定しています。
したがって、逆に考えると、微量セシウム内部被曝等で、臓器のシステムとしての、機能破綻が起こりうる目安として、フィードバック制御が関わっているような機能の発振状態を、ヒントにするのが良いと思っています。
(a) 血管病変
チェルノブイリ事故後、様々な血管病変の疫学報告がなされています。議論を始める前に、まずは、血管の構造を図で解説してみます。
心臓から送り出された血液は、動脈という血管を通って全身に送り出されますが、この動脈という管は、実に巧妙な(それでいてシンプルで合理的な)構造をしていて、誠に上手に、血液を流す、という技をやってのけてくれています。
動脈の機能の面白さと巧妙さを書き始めると、(分かっていること、分かっていないことも含めて)それだけで教科書が何冊もかけてしまう程なのですが、一言で言うと、程よい弾性を持っていて、その弾性が実に巧妙に調節されています。(この弾性調節が破綻した状態が、「高血圧」と呼ばれる状態だったり、血管が攣縮性の「虚血発作」だったりするわけです)。
この、弾性を調節するための構造が、上記の左図の断面図です。外膜、血管平滑筋(中膜)、血管内皮(内膜)という3層構造になっています。
システムとして、巧妙な機能連動を計るために、血管平滑筋同士、血管内皮同士は、ギャップジャンクションという構造で連結されていて、電気的な巧妙な繋がりを保っています。
例えば、右の図。これは、平滑筋の活動電位の図の伝わり方を、わかりやすく概念図で示したものです。
図では、脱分極(興奮状態)の伝搬を、「直列シグナルの例」として図示していますが、実際にセシウム内部被曝で、システムとしての破綻や不安定性に繋がるのは、ブログの本文の理論と同じく、再分極(興奮状態の鎮静)にかんする直列接続の方なのではないかと考えています。
では具体的に、システムとしての、血管の弾性調節の機能に、破綻が生じたらどうなるでしょうか?
例えば、比較的大きな動脈で、平滑筋の安定性の破綻(例えば血管攣縮のような形で)が起これば、もしかしたら、「動脈解離(血管中膜が裂け、外膜側と内膜側が乖離すること)」のようなことが起こる可能性が想定し得ます。また、何度も繰り返し血管攣縮、血管狭窄を繰り返すような好発部位に、血液の流れのストレスが掛かると、「動脈瘤(動脈の内腔が風船のように膨らんで、コブを作る状態)」のような病変が起こりうる可能性も考えられます。
あるいはまた、例えば、全身の血圧に影響を与える、中等度ー比較的抹消の動脈が、弾性機能に破綻をきたしたら、高血圧を来たし得るとも考えられます。
チェルノブイリ後の疫学調査でも、様々な血管病変の症例数の増加の報告が挙げられています。高血圧、動脈硬化、動脈瘤、血管出血性病変、血管狭窄・閉塞性病変、等々、さまざまな報告が挙げられています。古典的放射線医学理論に留まらない、様々なメカニズムの検討が必要だと認識しています。当ブログでの理論の延長線上での血管障害の説明は、内部被曝での量的な関係を説明する上で、比較的きれいな説明がつけられる理論なのではないかと思っています。
(b) チェルノブイリ膀胱炎、膀胱癌
次に、膀胱の話をしてみましょう。いうまでもないと思いますが、人体の下腹部で尿を貯めておく臓器、それが膀胱です。
これらの細胞、特に膀胱移行上皮細胞同士は、connexinという分子を発現し、ギャップジャンクションで接続されていることが分かっています(細胞ー細胞同士が、電気的に繋がって連動していると言う事)。interstitial細胞同士もギャップジャンクションでつながり、当然、平滑筋同士もギャップジャンクションで繋がっています。神経細胞はそのものが直列構造で機能をしています。以上列記したように、膀胱の主要な機能に関わる細胞は直列接続をしています。
人間は、いちいち、「さあ、今から平滑筋を伸ばして、膀胱を膨らませて、尿を溜めるぞ!!」などと考えながら膀胱を使うわけにはいきませんから、ある程度のことは、膀胱サマに、お任せするしかないのです。膀胱の各細胞も、上記のように、実に巧みな連動を保って機能しているために、スムーズに蓄尿、排尿ができていることが分かっています。実際、蓄尿や排尿の機能障害の多くの患者さんでは、この連動機能が異常になっているということが分かっています。
さて、膀胱の機能と、各細胞の電気的興奮状態の連動に関しては、上記のように詳しいこともいろいろ分かっていますが、例えば、ギャップジャンクションという、細胞の電気的連動性に関わる部分の障害が、膀胱炎や、過活動性膀胱症で報告されています。ここからは、あくまで推測に過ぎませんが、当ブログで考察してきたような(心室心筋の発振状態、痙攣状態)ことが、微量セシウム内部被曝下で、膀胱の排尿筋や、膀胱上皮付近で起こったらどうなるでしょうか?細胞が痙攣状態に陥れば、その細胞は、「excitotoxicity」(注)と言って、細胞死に陥るリスクにさらされると考えられ、慢性的に、繰り返し膀胱炎を起こすような可能性も想定できます。
では、チェルノブイリ事故で、何が報告されているのか?
Romanenkoと福島らの論文では、チェルノブイリ事故後の疫学調査で、セシウム汚染地区の、セシウム内部被曝患者における膀胱癌、異形成が大変高頻度に見られ、患者の膀胱組織において、慢性炎症の関与を示唆する所見があり、慢性炎症からの発がんを示唆させています。
この研究は、原発事故後に、東大の児玉先生が国会での演説の際に紹介をされたそうなので、すでに目にされたことのある方も多いかもしれませんね。
私はこの研究はその他のチェルノブイリ事故後の疫学報告と照らし合わせてみて考えた上、重要な知見だと思っていますが、ただし、少々留意しておくべきことは幾つかあります。一つは、論文の尿中セシウム排泄量は、事故から何年も経った後での計測値です。内部被曝量の見積もりにしても、事故直後はもっと高かったのではないか、という推測も可能で、本当に、最初からこの程度の微量セシウム内部被曝量で膀胱癌や異形成に至るのかどうかは、よく分からないというのが現段階での見解かと思います。もう一つは、この病理学研究は、前立腺肥大患者などの膀胱組織を調査したものなので、一般大衆の、セシウム内部被曝による膀胱癌のリスクがこれと同程度になるわけではありません。ということで、スタディのデザイン上、やむを得ない制約もありますが、それを踏まえた上で、重要な研究結果です。
ここからは余談になりますが、「炎症」というのは、生体にとって、良くも悪くも、無くては成らない重要な反応です。問題は、炎症が長く続く「慢性炎症」と呼ばれる状態です。急性の炎症は、それが臓器死や個体死につながるものでなければ、むしろ生体にとって必要な現象であることも多く、炎症が治まって仕舞えば、患者はもとの健康体に戻ることができます。一方、ごく微量の炎症であっても炎症が遷延化してしまうと、「慢性炎症」という状態を引き起こし、各種の慢性疾患を引き起こすことが分かっています。人間の発がんも、分かっているだけでも、3割以上は、慢性炎症が関与しているとされています(この割合の数字は、今後の発がん学の進歩とともに、上がっていくだろうという見方もあります)。慢性炎症の重要性は、かなり早い時代から注目されていて、日本人では1910年代には東大の山極勝三郎らが、ウサギの耳にコールタール刺激による人工発がんモデルを作成した先駆的な貢献が有名です。時代をはるか下りこの数年来、より扱いやすい、遺伝子操作による慢性炎症による動物モデルなどが次々に確立され、具体的なメカニズムを含めた議論の上で、慢性炎症研究への注目が増してきつつあります。
近年、ギャップジャンクション(コネキシンという生体分子により細胞が電気的に連動するための連結機構)の機能不良が、各種の発癌過程に、重要な役割を果たしているのではないかという理論が提唱されています。膀胱癌も含めて、様々な癌組織で、ギャップジャンクションの機能不良や、ギャップジャンクション関連分子の発現低下・変性が見られ、逆に癌細胞にギャプジャンクションを強制発現してやったり、ギャプジャンクション機能強化をしてやると、癌細胞増殖を抑制したり、癌細胞を殺したりすらできる、ということが分かってきています。つまり、細胞というのは、生体内ではコミュニティを成していて、細胞の機能連動はもちろん、細胞の分化・増殖にも、細胞ー細胞間の、メッセージの連携プレーが重要で、お互いに話し合って、正常な増殖・分化タイミングを決めている。この連携が破綻すると、ある細胞の増殖能の暴走が始まり、癌化の重要なステップへと至るのではないか、という理論です。
ここに記したメカニズムが正しいのかどうか、初期からの内部被曝量の見積もりの妥当なのかどうか、など、幾つかの点は議論の余地がありますが、セシウム内部被曝での、膀胱関連の障害に留意しておかなければならないと、福島らの論文は示唆しています。
(c) 白内障
セシウム内部被曝の影響を考えるときに、意外に盲点になるかと思うのが、眼の水晶体への影響の可能性かと思います。驚くことに、チェルノブイリ原発事故後に、白内障の好発が複数の疫学調査で発表されています(Bandazhevskyのほか、"Number of bilateral lens opacitiesand level of incorporated Cs-137 in Belarussian children" by Arynchin and Ospennikova, 1999など)。
白内障というのは、目の水晶体というレンズの部分が、濁ってしまい、物が見えにくくなる病気です。
高線量の外部被曝にさらされた際の水晶体への影響は、古典的放射線医学理論でも、現在進行形で、比較的知見が蓄えられています。原発作業労働者や、原発事故処理活動に関わった大人が白内障を好発する場合には、大筋はその考え方で良いのだろうと思っていますが、実は、汚染地区の小児にも、大変高頻度に白内障が好発することが、チェルノブイリ事故後の疫学調査で分かっています。小児が高線量外部被曝にさらされていた状況は考えにくく、おそらく多分、放射線絡みの白内障に関しては、従来の理論以外にも、別のメカニズムに依るものを、見落としてしまっているのではないかと感じます。Bandazhevskyは、たしか、やはり微量セシウム内部被曝が関与していると発言していたはずだと記憶しています。
一体、どんなメカニズムを考慮していけばいいのでしょうか?考えるための材料は、最新の医学研究でも、まだまだ不足していると個人的には感じるのですが、まずは、人間の目のレンズ細胞の図を記します。白内障というのは、このレンズの、絶妙に調節された透明性が失われ、濁ってくる状態です。
(注)あくまで概念図的な構造で、一部不正確です。実際にはもっと沢山の細胞がギッシリと詰まっています。
昨今では、レンズの透明性維持に、レンズ細胞のイオン濃度調節、容量調節、そのための、レンズ細胞同士の機能連携が重要ということが分かってきています。ただし、成熟レンズ細胞(図の黄色い部分)では、Naイオン、Clイオンの調節が重要であり、Kイオンの挙動はあまり解析されていません。これは、成熟レンズ細胞にはKチャネルは存在しないとされているためだと思います。ただし、Kイオンは無関係なわけではなく、レンズ上皮細胞(図の赤い部分)には、多くのカリウムチャネルが存在し、Kirも発現していることがわかっています。Kirとカウンターに働くカリウムチャネル(各種Kvチャネル系:KvLQT1, MiRP2のほか、BKなど)の存在もわかっています。Na/K-ATPaseという分子ポンプを回して、細胞内外のNa, Kイオン濃度調節をしていることもわかっています。レンズ上皮細胞同士もギャップジャンクションを介して接続しています。
重要なことに、動物実験では、レンズ細胞の各種のコネキシン(ギャップジャンクションを作る重要な生体分子)を阻害してやると、白内障を生じることが分かっており、レンズ細胞同士の、なんらかのイオン調節機能の連動が、能動的にレンズ透明性の維持に重要ということが解明されつつあります。
微量のセシウム内部被曝は、心室心筋においては、興奮・脱興奮のタイミングを狂わせ、システムとしての安定性に破綻を来すというメカニズムが当ブログの理論です。水晶体に於いても、あくまで考えうる可能性の一つに過ぎませんが、似たようなメカニズムで、例えばレンズ上皮細胞の機能同期不良が、なんらかの形で、レンズの各種の細胞におけるイオン濃度調節機能異常から、レンズ透明性維持機能が破綻したり、上皮細胞などの同期不良がなんらかの形で細胞分裂や成熟過程のタイミング異常によるレンズ細胞配列の異常などにつながる可能性は、十分に想定し得ると考えています。
以上を一言でまとめますと、セシウム内部被曝による、レンズ透明性維持機能の破綻や、レンズ細胞アラインメント(配列)の不整化などのメカニズムを、あくまで一つの可能性としては、想定しておいても良いのではないかと思います。
(d) 神経症状、骨格筋症状
当ブログでは、心室心筋細胞での、脱分極(興奮状態)、再分極(興奮状態の鎮静)のタイミングのことを、主テーマとして議論してきました。セシウムが、心室心筋の、Kirという、ある種のカリウムチャネルに異常を来たし、システム全体としての、制御機能の安定性の低下から、破綻が生じる、という可能性に関する考察です。
実は、心室心筋の時に考察してきたのと、全く同じ議論が、同じく「興奮性臓器」である、骨格筋と、神経系での活動・鎮静の制御にも、そのまま成り立ちます。心筋と同じような電位調節を受け、心筋細胞と同じようなKチャネルが重要な働きをしていて、心筋細胞と同じように、骨格筋も神経組織も、「直列接続としての機能」がシステムとしての働きに重要だからです。
心臓での話は、一言で言うと、心筋細胞が痙攣のような状態になったら、不整脈が起こり得るよね、という話でした。
では、骨格筋で、痙攣状態が起こったら、どんな症状がおこるでしょうか?神経系で、神経細胞が痙攣状態のような状態になれば、どんな症状が起こるでしょうか?
考察していけば、この分野も、延々と議論できてしまうのですが、実際、チェルノブイリ事故後の疫学調査でも、様々な、神経筋疾患の疫学報告がされています。微量のセシウム内部被曝による、当ブログと類似のメカニズムが関与していた可能性は、考察に値するのではないかと考えています。
(e) 消化管疾患
チェルノブイリ事故後、各種の消化管疾患が、放射性セシウム汚染地区で増加していることが報告されています(胃癌・胃炎・胃十二指腸潰瘍・大腸癌等)。内部被曝との関連を明らかに示す疫学調査は私の知る限りな調べられていないと思いますが、おそらく、外部被曝量からの見積もりよりは、内部被曝によるメカニズムを考察したほうが、説明が容易なのではないかと思います。
上の表に挙げたように、胃粘膜上皮細胞、大腸粘膜上皮細胞、消化管平滑筋細胞では、いずれもCs高親和性Kチャネル(Kir2.1等)を発現しており、放射性セシウムのターゲット分子(候補)を持っています。消化管粘膜上皮細胞は、KvLQT1 (KCNQ1)により、胃酸分泌調節、消化液・粘液分泌調節がなされ、一方、消化管平滑筋では、Kイオン調節は静止膜電位や再分極の調節に重要です。
また、胃粘膜上皮細胞同士、腸粘膜上皮細胞同士、消化管平滑筋細胞同士は、ギャップジャンクションにより直列接続を受け、電気的に巧妙な連動をなしています。以上、すべての項目で、放射性セシウムのターゲット臓器としての条件を満たしています。
(i) 胃癌・大腸癌などと、KvLQT1(KCNQ1)の関わりを示唆する研究、(ii) 胃癌・胃炎・ゲリコバクターピロリ菌感染や大腸癌とギャップジャンクションの発現・機能異常との関連を示唆する研究もあり、消化管細胞同士のカリウムイオン調節・電気的活動の直列連動の異常から、各種癌や胃腸炎にいたるメカニズムの存在を示唆しています。
消化管ではありませんが、同じく消化器系の癌で、チェルノブイリ事故後に好発の疫学調査があるもののひとつに、膵癌が挙げられます。膵臓というのは面白い臓器で、内分泌(ホルモンなどの血中への分泌)と、外分泌(消化液の消化管への分泌)を、共に担うユニークな臓器です。膵臓の内分泌機能に関しては糖尿病関係の研究から、極めて多くの知見が蓄積しているのですが、臨床上よく問題となる膵癌に関しては、主には外分泌系からの発癌が重要視されています(もちろん内分泌系由来の膵癌もあります)。ここ数年のことですが、いわゆる一般的な膵癌に関しては、膵臓のacinar細胞由来の発癌が問題だということが証明されて来ました。このacinar cell同士もまた、ギャップジャンクションにより電気的な連動をしており、Kir系(Kir2.1や2.3など)のセシウム高親和性のKチャネルを発現しており、KvLQT1(KCNQ1)などのKチャネルによる細胞内Kイオン濃度調節が、膵液分泌など様々な役割を果たしていることが分かっています。やはり、注視しておくべき臓器の一つであることには違いないと思っています。
(f) 乳腺
チェルノブイリ事故後、放射性セシウム汚染地域で、乳癌の増加が多数の疫学調査により報告されています。これも、内部被曝との関連を明らかに示す調査は知りませんが、やはり、外部被曝の見積もりよりは、セシウム内部被曝による理解の方が、容易だろうと考えています。
乳腺上皮細胞、乳腺筋上皮細胞は、いずれも、セシウム高親和性のKir2.1などを発現しており、放射性セシウムの分子ターゲット候補を持っています。カリウムイオン調節は、乳腺細胞の浸透圧調節、乳汁分泌などに重要と考えられており、ギャップジャンクションによる乳腺細胞の直列接続も同様に、これらの機能に重要です。また、乳癌組織で、ギャップジャンクションの発現低下も報告されており、乳腺細胞同士の密な直列接続による機能連携が、正常乳腺組織の維持に重要であろうと示唆されています。
以上、乳腺もまた、放射性セシウムのターゲット臓器としての条件を満たしています。
(g)甲状腺疾患
すでに皆様がよくご存知のように、チェルノブイリ事故後には甲状腺疾患が多発しました。公的に認められている統計、認められていない統計などいろいろあると思いますが、ざっと広く統計を拾うと、甲状腺癌、甲状腺機能低下症、亢進症、甲状腺炎などなど。一般的には、甲状腺疾患一般は、甲状腺癌の症例が1例見つかれば、その1000倍は甲状腺機能障害の症例がある、と言われています。
この、チェルノブイリ事故後の各種甲状腺疾患ですが、一般的には、チェルノブイリ事故に関連する甲状腺疾患は、放射性ヨウ素の初期被曝によるものに帰結されており、セシウム内部被曝は強くは示唆されていません。というのも、特に事故後生まれた子供たちでは、診断数も事故後10年をピークとしてその後現象に転じていることや、逆に年齢の高い層には晩発性に診断数が増えているという疫学上のパターンがあるせいなのでしょうね。そのほか、いくらかの疫学調査の結果や、あとは、現代医学的は、どうしても、放射性ヨウ素内部被曝に関する医学知見の蓄積があることと、放射性ヨウ素の体内動態が圧倒的によくわかっていることなどから、原発事故後の甲状腺疾患に関しても、放射性セシウムよりは、放射性ヨウ素の方に結びつけられて考察されるのでしょう。
ただし、あくまで私見ですが、放射性セシウム内部被曝による影響が関与していた可能性は残しておいたほうが良いのではないかという気がしています。甲状腺濾胞上皮細胞同士は、ギャップジャンクションで直列につながっていることが分かっています。また、セシウム親和性の各種のKir系のチャネルが数多く発現しています。甲状腺濾胞細胞におけるカリウムイオンの調節は、甲状腺ホルモン産生、そして甲状腺細胞自身の増殖調節に極めて重要だということが分かっています。したがって、放射性セシウムのターゲットになりうる臓器としての条件は満たしているわけです。
生物学的な実験結果から分かっていることとしては、甲状腺細胞のギャップジャンクション強化により、細胞増殖抑制が起こります。逆に多くの癌細胞ではギャップジャンクション機能の抑制。マウスの実験での甲状腺濾胞上皮細胞でのカリウムチャネルの阻害は、甲状腺機能低下症につながり、T3,T4↓、TSH↑という甲状腺ホルモンバランスにいたります。(ちなみに高TSH血症は、近年、甲状腺癌のリスクファクターと捉える考え方が一般的です)。
あくまで可能性にすぎませんが、その他の臓器異常のメカニズムと似たように、直列につながった濾胞上皮細胞の、膜電位シグナルの制御の安定性の低下から、発振状態を来し、ホルモン産生能の異常、細胞増殖能の異常に至ったり、炎症性変化につながったりすることは、可能性としては考えておいても良いのではないかという気がします。
(h) 免疫系・造血系異常
チェルノブイリ後、様々な免疫系、造血機能系の異常の疫学調査が挙げられています。日本でも、福島第一原発事故後の、野生ニホンザルの白血球数の異常などの調査(羽山さんらによる)というのが報告されています。ニホンザルの研究は、私もまだ原著に当たっておりませんが、骨格筋中のセシウム内部被曝量で、数百ー1000Bq/kg程度の内部被曝量だったと記憶してます(これ、ちなみに、Bandazhevskyの臓器別内部被曝量のデータを当てはめると、ホールボディーカウンターでは、全体重あたり数十から100Bq/kg程度に相当するはずで、やはり、Bandazhevskyの心筋症と同程度の桁の、ごく微量セシウム内部被曝という風に理解しています)。
ただ、近年面白いことも分かってきつつあります。
1960年代から1980年代に掛けての、「古典的免疫学の黄金時代」の研究は、免疫細胞を単体で取り出して研究するのが常套手段でした。何も、難しい組織の中での免疫細胞の振る舞いを扱わなくても、簡単に免疫細胞は人体からも実験動物からも単離できるし、また、単離した免疫系細胞の振る舞いも、試験管の中で綺麗に扱えるので、この、試験管の中での研究を手掛かりに、一気に免疫学の学問体制が、完成していった時代です。シンプル・イズ・ベストという言葉は研究にも当てはまり、単純化した、試験官内での研究モデルで、次々に大事なことが発見されていきました。
私たちオジさん研究者が教育を受けた云十年前の学生時代には、例えばリンパ節の中の免疫細胞の分布にしても、何にしても、免疫細胞たちが、試験管の中の反応と同じように、単に液性の因子をお互いに出し合って、それで、住み分けも、増殖も、発達分化も、決められているのだろう、と考えられていました。まあ、イメージで言えば、プカプカと海の中を漂うクラゲ同士が、液性のものを分泌してシグナルをやりとりしているような感じです。
しかし、実は2000年代以降に、とても重要な知見が、生体内の細胞の実際の挙動観察から得られることになりました。
テクノロジーの進歩というのは凄いもので、動物個体のリンパ節の中を生きたまま、つぶさに観察する、などという、以前は夢のまた夢と考えられていた研究方法というのが、2000年代の中盤に確立してきました。これは、ご存知の方も多いと思いますが、下村脩さんのみつけたGFP(緑色蛍光タンパク)という蛍光色素で細胞をラベルすることが出来るようになったことの恩恵でもあります。
すると、生体の中のリンパ節を観察してみると、どうしたことでしょう!免疫系の細胞が、「支持細胞」と言われる細胞(間質ストローマ細胞)の突起と突起でできたレースの上を、密接にコンタクトを保ちながら、這うように移動していることが分かってきたのです。それまで、これらの支持細胞は、ただ単に、リンパ節の構造を維持するためだけに、そこにある、無用の(無用に近い)細胞だと思われてきたにもかかわらず。
たとえば、リンパ節における、FDC(濾胞樹状細胞)。この細胞は、リンパ節の濾胞といわれる部位で、網の目のようにネットワークを張り巡らせていることが、昔から分かっています。面白いことに、Cx43という、ギャプジャンクションに関わる分子を発現しています。このCx43を阻害してやると、各種の免疫系細胞の発達が阻害されます。これらのことから、免疫細胞の正常な発達には、細胞ー細胞間の電気的なコミュニケーションによる連動が必要だ、という新たなパラダイムが開けて来るという期待感が学界に漂い始めています。ただし、あくまでそういうことが想像出来る、という仮想の段階の話で、まだまだ、研究の緒につきかかったばかりの分野です。もしかしたら、樹状細胞のネットワークが、(神経回路のように)お互いに電気的連動をなしていて、なんらかの形で、免疫系細胞の正常な発達を促しているのかもしれませんね。
少し、似た話で、もう少しだけ別系統の研究からの解析が進み、注目されつつある分野の話をしてみたいと思います。
骨髄のニッチ組織(niche: ニッシュともニッシェとも呼ばれます)、と言われる部分に関してです。
皆様は、「幹細胞」というキーワードを耳にされたことはあるでしょうか?いろんな種類の「幹細胞」がありますが、ざっと、「様々な細胞を作り出すための、発生段階の源となる細胞」というのが、幹細胞という風に理解しておいてください。我々研究者にとって、もっとも馴染みの深い細胞が、Embryonic stem細胞(ES細胞)だとか、inducible pluripotent stem細胞(iPS細胞)と言われるものです。後者は山中伸弥さんの貢献を耳にされた方は多いことと思います。
これらの細胞は、今や、いろんなルートで一般の研究者にも入手ができますが、培養して飼ってやろうとすると、なかなかテクニックを要する細胞たちなのです。そんじょそこらの初級者向けの培養細胞というのは、培養ディッシュに細胞を撒いて、培養液を加えただけで、簡単に細胞培養実験を行うことができます。
ところが、ES細胞にしても、iPS細胞にしても、ただ単に、ディッシュに巻いただけではダメで、従来的には、最初に「フィーダー細胞(栄養供給細胞)」というものをディッシュに蒔き、その準備を延々と整えた上で、フィーダー細胞の上に、ようやく幹細胞を撒いてやることが出来るのです(もっとも、最近ではフィーダーの不要な培養方法というのも広まりつつあります)。
なぜこんな面倒臭いことが必要かというと、ES細胞やiPS細胞の「幹細胞性」(幹細胞を幹細胞たらしめる性質)をキープしたまま、上手に培養してやるには、どうしても、フィーダー細胞の助けを借りなければなら無いのです。
これは、生体内のことを考えても、至極納得の帰結なのです。造血幹細胞という一種の「幹細胞」が、骨の中の「骨髄」と言われる組織にあるのですが、造血幹細胞は、骨髄の中のniche(ニッシュ、ニッシェ、ニッチとか言われます)という、支持組織の中にキープされ、ニッチの細胞群のヘルプによって、幹細胞性を保っている事が分かっています。(フィーダー細胞も同じ図式ですね!)
骨髄造血幹細胞と、この、生体内の骨髄ニッチの各細胞群との関係を、図にまとめてみます。
現在わかっているのは、ニッチの中の、骨髄ストローマ細胞(細網細胞:CAR細胞等)の、カルシウムシグナルなどの同期(ギャップジャンクションを介した直列接続)が、骨髄造血系の機能に極めて重要、という知見です。
そもそも細胞のカルシウム波は、細胞のカリウムイオン、ナトリウムイオンなどによる膜電位変化によっても、調節を受けているのは、いろんな細胞での共通事項です。したがって、当ブログで検討したような、微量セシウム内部被曝による、膜電位調節機構の破綻、安定性の損失ということが、造血機能、免疫系細胞の正常な増殖・分化能に影響を与える、という可能性は、推測され得ることだと思います。
まだまだ、生体内での詳細な、免疫細胞系や造血細胞系の機能調節というのは、研究課題が山積みの分野ですが、もしも、ごく微量のセシウム内部被曝と免疫系・造血機能系とが、なんらかの関係があるのであれば、当ブログの理論と同様のメカニズムが潜んでいる可能性を検討しなければならないかもしれません。
また、発ガンも、近年は、微小環境からの逸脱というメカニズムが注目されるようになってきました。上記と類似の状況が関与している可能性が考えられます。
(注)excitotoxicity(興奮性による毒性)というテクニカル・タームは、厳密には、神経生物学において、神経細胞が、神経伝達物質(たとえばグルタミン酸など)の過剰刺激によって、過興奮という状態を起こし、細胞死を来す現象を指します。メカニズムに関しては、現在進行形でいろいろな議論がありますが、たとえば細胞内カルシウムがオーバーロード(細胞質内にカルシウムイオンが過剰に流れ込むこと)して、細胞死に至る、などのメカニズムで説明されています。ただし、細胞は正常の興奮状態でもカルシウムのシグナルは有効に利用することができるので、異常カルシウム・オーバーロードが、正常の反応と質的にどう違うのか(流入量が過剰なのか、持続時間の問題なのか、タイミングなのか、他にセイフティ・スイッチがあるのか)など、その他のメカニズムも含め、いろいろな角度からの面白いことも解明されつつあり、まだまだ現在進行形で研究されている分野です。ともかく、「細胞が異常なまでに興奮したり、過度の刺激を受けると死ぬ」という現象自体は、様々な実験系で再現性が高く、広く受け入れられています。このブログでは、神経細胞以外にも拡張し、「細胞が痙攣状態になるような、異常な活動をしたら、細胞死のリスクが高まる」と、少し広い意味で使っています。日常生活での経験則として、誰もが知っている現象としては、「こむらがえり」を考えてみてください。誰しも、寝ている時に足がつって、痛みで目がさめたという経験はあると思いますが、あの、こむらがえり(有痛性筋痙攣と言います)。筋肉の細胞が、過度に興奮してまさに痙攣しているわけなのですが、この、過度の興奮のために、一部の筋肉細胞が細胞死を起こすことがわかっています。
(補足)ここに書き損ねた疾患に、チェルノブイリ事故後の糖尿病の好発があります。1型にしても、2型にしても、同様の考察で綺麗に説明することができます。字数制限のため、別途追加記事を用意したいと思います。