ちょっと、専門的になりすぎるかもしれないのですが、まず、第一のポイントは、分子の壊れ方を2通りに分けて考える。
ひとつはloss-of-function (ここではチャネルがclosedの形に壊れる)。
もう一つはgain-of-function (ここではチャネルがopenの形に壊れる)です。
古典的な放射線物理学的な考え方に馴染んだ方にとって、生物学的な議論のうち、慣れていない考え方のひとつに、生命分子というのは、「機能」をもっている、と言う点だと思います。
物理学の基本構成要素を扱う時に、普通は、モノとモノが、ぶつかったり、反発したり、引き寄せたり、passiveな作用しかありません。ところが、生物の分子には、「機能」というものがあります。これは、地球が誕生して、数十億年の経過で、化学物質が生まれ、生命が生まれ、進化してきたことの賜物です。最初はランダムに物質と物質がぶつかり合っていた時代から、進化の過程を経て、生命体分子が「機能」を持つようになった。
従って、慎重な生物学的問題に関する考察、というのは通常、生命分子が壊れるとき、その「機能」の壊れ方を、丁寧に考察することが要求されます。
ちょっと乱暴な言い方になって、正確ではありませんが、この場合、と限定して論じさせていただければ、
closeの形で壊れるKチャネルはrecessiveな異常分子として捉えることができ、細胞機能にも影響はほとんど出さないまま、turnoverされて、それでおしまい。
openの形で壊れるKチャネルは、定量計算にもよりますが、dominantな異常分子として働きうる可能性を持っていて、場合によっては、数万個のうち、たった一つでも、 細胞の機能に影響を与える可能性が生じる。
という感じの流れになっています。
<注:dominantな異常、recessiveな異常に関する補足>
ポイントは、世の中の医学者に支配的な考えというのは、
「ごく微量の分子が壊れても、5万とある他の分子が機能をカバーしてくれて細胞の機能に影響など出るわけが無い」
「心臓にkg当り10の11乗個もある細胞のうち、ごくわずかが機能異常になったからと言って、心臓の機能に異常が出るはずが無い」
この2つの、固定観念のために、Bandazhevskyのデータを信じられない、と、検討する前から、可能性を排除してしまっているのが実情だと思います。
ですが、きちんと定量的に考えれば、可能性は十分にありうる、という結論に達します。
この議論では、上記のオープンvsクローズの議論以外に、ちょっと乱暴な言い方をしますと、「心臓は直列処理をしている臓器で」、「並列処理をしている肝臓などとは影響の出方が違う」 というのが、もう一つのポイントです。
まずは、心臓の伝道路と、心電図の成り立ちについての基本事項です。
ここでは、QT時間についてのみ、議論します(本当は、丁寧に考察していけば、QRS波形にも影響がでる可能性も考えられるのですが、このウェブサイトでは無視します。<注:補足説明1>)
上記の心電図の、QRS波のはじめから、T波の終わりまでを、「QT時間」と呼びます。これが延長しちゃうと、まずいことになってしまうのですが、なぜまずいか、という詳しいことは後回しにして、まず、
QT時間が何できまるか?
上図にあるように、洞房結節(SA node)、心房(Atrial Muscle)、房室結節(田原結節、AV node)、ヒス束-プルキンエ線維(図中には描いていません)を出た後、心筋細胞に興奮、脱興奮が伝わり、心室細胞から心室細胞に、細胞間のギャップジャンクションという部分を伝わって、電位の変化の信号が伝達していきます。(本当は、脱興奮にかんする伝わり方は別の見方もありますが、信号が細胞から細胞に伝達するのが重要、という見方は同じと考えることができます)。
つまり、上図の、青い波形の、なだらかな右肩下がりの部分が、延長するかどうかで、QT時間が延長するかどうかが決まります。
この部分を詳しく見ましょう。下図のphaseの2-3の部分の議論です。
この部分で、大事な、「心筋再分極時の外向きK電流」というのがあり、IKsとかIKrとか呼ばれています。
知っている人にはわざわざ説明する必要もないことなのですが、下の図のように、心筋細胞が静止時には、細胞内Kイオン過剰、細胞外Naイオン過剰となっています(これら2つのイオン以外に、細胞内には陰イオン過剰となっているので、細胞膜電位はマイナスです=分極状態)。心筋興奮時には、まず、Naチャネルが開いて、Naイオンが流れ込むために、細胞内が陽イオン過剰となり、細胞膜電位はプラスに転じます(脱分極=興奮している状態)。
で、心筋細胞が、もういいやって思って、興奮を鎮めるときは、今の逆をやってNaを汲み出すのではなく、今度はKイオンを外に出すことによって、陽イオン過剰状態を是正します。ちょっと考えていただければ分かるんですが、その方が楽なんですよ。 (狂ってしまったNaとKの濃度勾配にかんしては、あとでゆっくりと、その他のチャネルや、ポンプといわれる別種の分子をつかって、もとの状態に戻していきます)。
つまり、再分極には、外向きK電流(IKs, IKr)が大事。
厳密に定量化するには、まだまだ我々は最先端の知見でもデータをそろえきれないのですが、この心筋再分極時の外向きK電流に関して議論してみます。IKs, IKrのうち、どっちかに絞った方が 話がはやいんで、IKsについて。繰り返しますが、再分極時の外向きK電流でQT時間が決まる。 IKsやIKrが小さくなれば、流れうる電流が小さくなりますから、同じ再分極電位に達するのに時間が掛かる。つまり、QT時間が延長する。
いきなり、端折って、式を出します。
総電流 IKs = N x p x i
(ただし、ここで、Nは総チャネル数。pは開確率、iは単一チャネル電流)
セシウム内部被曝で、この、外向きK電流IKsが、有意に小さくなることがあるかどうかを、以下に延々と議論して行きます。
もう一度繰り返しますが、IKsが小さくなれば、QT時間は延長するからです。
とりあえず、この場合、チャネルとしては、KvLQT1 (KCNQ1)を考えておききましょう。
総数Nに関しては、今はとりあえず数万(ここでは5万)という数字を受け入れておくことにしましょう。
iは数pS。簡単に試算するために、単位を省いて、i=1としておく。
コールドのセシウムによる化学毒性、というか、生理学実験で普通に用いられるチャネルブロックの手法は、こちら側になる。影響を出すためには、超超大量に投与しなければならない。
実際、coldなCsをラットに投与してQT延長させる実験の論文があるんですが(上の方に書いた Gueguenの論文とは別の論文です)、モル計算で、Bandazhevskyのデータの10の9乗くらいの 超高濃度を入れてやら無いと影響がでない。まあ、ここに書いたとおりです。
もう一度、まとめ、書き直しておきますが、KvLQTによる外向きK電流の寄与は
但し、ただし、N1, p1, i1はKvLQT1の総チャネル数、開確率、単一チャネルコンダクタンスです。
ここで、N1=50000, p1<<1, i1=1。
さて、別のカリウムチャネルに注目してみましょう。
ホットなCs分子(放射性セシウム、Cs134/137)が、仮に、このチャネルを、openの状態に壊すことができたら、これはgain-of-function の状態で壊している、ということ。
今、仮に、ホットなCsで、ある1つの細胞で、1個だけ Kirをオープンの形で壊すことができたとしましょう。
つまり、Kirが、生来、心筋細胞の脱分極・再分極のどのフェーズでどんなはたらきをしていて、
チャネル特性がどうで、pがもともとどうだったかなんて、全然関係ない。
外向きに拮抗する、内向きチャネルを1個だけ、p=1に固定できる、ということ。
(注:その他のKir分子は、このフェーズでは、外向きK電流の邪魔をしないように、クローズ(closed)になっています。つまり、この1個のKir分子以外の49999個に関しては、p=0です)。
たった一個のオープン固定されたKirチャネルが、KvLQT1のチャネル集団に、どれほどの影響を与えうるかを比較するため、①と②の大小をざっと比較してみます。
ざっとした概算ですが、もしも、p1の時間平均チャネル平均の確率が、p1<0.002以下であれば、IKsは顕著に(1割程度)変化することになり、 QT時間は延長することになる。
これが、仮定として、hotなCsがdominantな形に(オープンの状態に)Kチャネル(特にKir系)を壊すことがあれば、 ごくわずかなCs内部被曝で、QT延長につながるかもしれない、というひとつの可能性。
<<ここのKirの議論は、誤解を受けやすいので、補足説明2をしておきました:リンクに飛んでください>>
N2=1とおきました。実際には、セシウムの内部被曝量から計算されるモル数、分子個数、崩壊スピード、タンパク代謝速度との平衡、そして、心筋1kgに含まれる細胞数を計算すると、N2<<1の場合を想定しないといけないのは分かっているが、それは、後ほど述べることにします。
<注:補足説明1>QT延長以外に、QRS異常(脚ブロック様変化)、再分極の不均衡のもう少し詳しいメカニズムからST部分の異常、J波出現などの可能性も想定に入れています。胸部不快感や心電図異常などから心筋梗塞を疑わせるのに、逸脱酵素上昇の見られない不可解な症例では、鑑別診断のひとつとして、セシウム心筋症を選択肢に入れ、そういう症例では今後、内部被曝実測をしていく必要があるのではないかと思います。
<補足2>KvLQT1への影響は次頁。
(4/10/2016):説明を端折りすぎていた箇所がありましたので、少し修正させていただきました。
(12/24/2019):細胞内外、特にKチャネル局所のKイオン、Naイオンの挙動に関し、説明を端折っていた箇所を補足しました。ご参考ください。
KvLQT1というのは、膜電位の「脱分極状態を感じ取って」、オープンになります。つまり、膜電位の関数、というのは、そういうことです。
さて、イオンチャネルのことに詳しくないかたは、話がこんがらがってきたかもしれません。
別のイオンチャネルを例にとって、「開確率」のことを説明しておきます。
チャネルがクローズ、つまり閉じているときは、ほとんど電流が流れません(開確率はほとんどゼロ、ということ)。上の図の、上段あたりのグラフです。チャネルがオープンの状態になると、上図の下段のグラフのように、少しずつチャネルが開く確率があがり、電流が流れやすくなります。開確率が上がった、ということです。
つまり、イオンチャネルの世界では、チャネルが、開いたり閉じたり、という現象を、この、「開確率」という確率で表現します。
上の式の、pというのが、開確率です。
ただし、以下の議論では、外向きK電流 の責任領域のフェーズ、つまり心筋再分極時phase2の約200msecの間の、時間でおしなべた 「時間平均の」開確率として扱います。ピークじゃないですよ。
仮にピークでの開確率が0.3-0.6くらいの範囲だったとしても、時間平均、1分子平均にすれば、 もっと小さくなる。つまり、p<<1。
このような、時間平均チャネル平均で極小なpの元では、Nが1つ減って 50000 --> 49999 に変わったところで、全く総電流IKsには変化が無い。 KvLQT分子が、一個消えてなくなっても(クローズの状態で壊れて、怠けて休んでいても)、全然気にならない。
IKs = N x p x i
の、Nが5万分の1減ったところで、屁のカッパ、ということです。
実は、原発事故後も、「セシウムの化学毒性は低いから、心臓に影響なんて、よっぽど高濃度じゃないと出るはずがない」という考え方をする議論もあったんです。
つまり、この、「クローズの状態で怠けている」というのが、心臓に全然影響の出ないパターン。そして、私が、recessiveだとか、loss-of-functionの方のパター ンだと分類している、チャネル分子の障害メカニズムの一つ。全然影響が出ない。